真言宗八祖大師尊像


 お釈迦から始まる仏教の結実は、真言密教となってインドの地に花開きました。その後、

中国のお坊さん方に受け継がれ、そして九世紀の初め入唐した空海(弘法大師)が、日本に

持ち帰りました。真言宗のお寺では、空海までの三国(インド・中国・日本)八代に及ぶ祖

師(継承者)を、八祖大師または「伝持の八祖」として大切におまつりしています。

龍龍猛菩薩  ■ 第一祖 龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)

 南インドのバラモンの家に生まれ、大乗仏教の大学者で日本仏教諸宗の祖と称される龍樹(りゅうじゅ)「ナーガールジュナ」と同一人物であるともされます。「南天の鉄塔」において、大日如来の直弟子金剛薩埵から密教経典を授かって、真言密教の奥義を感得しました。三鈷杵(さんこしょ)を右手に持っています。

龍智菩薩  ■ 第二祖 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)

 南インドを中心に活躍されたお坊さん。とても長寿な人で、唐からインドに来た不空三蔵にも教えを伝え、「西遊記」で有名な唐の高僧の玄奘三蔵にも中観論などを教え伝えたといわれています。また、善無畏三蔵の師とされるナーランダー寺の達磨掬多(だるまきくた)[Dharma-gupta]がこの人であるとも伝えられます。龍猛から授かった密教の経文を右手に持っています。

金剛智三蔵  ■ 第三祖 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)

 中インド出身の王子。十歳で出家し仏教を学び、三十一歳の頃南インドで龍智菩薩から七年間密教を学びました。その後、南インドやスリランカの各地をめぐり修行。唐にも渡って。玄宗皇帝に国師と仰がれ真言密教の儀式を伝えています。多くの密教経典の翻訳にもつとめ、金剛智訳とされる経典がたくさん現存しています。帰国はかなわずに没しました、数珠を右手に持っています。

不空三蔵  ■ 第四祖 不空三蔵(ふくうさんぞう)

 西域生まれ。貿易商の叔父に連れられて唐へ行き、長安で金剛智に入門し、25年間仕えました。「金剛頂経」を漢語に翻訳し、皇帝を始め多くの人に灌頂(かんじょう)を授けました。

とくに玄宗をはじめ三代の皇帝に潅頂を授けたことから、三代の国師と仰がれます。七十歳で入滅し皇帝より大広智(だいこうち)の称号を賜りました。外縛印(げばくいん)を結んでいます。

善無畏三蔵  ■ 第五祖 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)

 東インドの王子として生まれ王位を継承。しかし内紛があり出家しました。ナーランダ寺に入り真言密教の奥義を授けられます。その後諸国で教えを広め、80歳の時に(開元四年(716))唐の長安に入り、玄宗皇帝の深い信任をうけ真言密教の根本経典である「大日経」を翻訳しました。帰国を望みましたが許されず。中国の地で没しました。右手の人さし指を立てています。

一行阿闍梨 ■ 第六祖 一行阿闍梨(いちぎょうあじゃり)

 中国生まれで中国人初の密教の相承者。幼少のころから勉学に優れ、数学や天文学にも詳しかったとか。唐代屈指の学問僧で、金剛智三蔵から「金剛頂経」系の密教を受け、善無畏三蔵の「大日経」の翻訳にも加わり、その注釈(大日経疏)をしました。四十五歳の若さでなくなりますが、その後の真言密教に与えた影響は多大でした。現代中国においても「大衍暦」(だいえんれき)という暦を作製した科学者として不朽の名声を得ています。法衣のなかで印を結んでいます。

恵果阿闍梨  ■ 第七祖 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)

 お大師さまの師にあたる中国人のお坊さんです。不空三蔵から「金剛頂経」、善無畏三蔵の弟子の玄超(げんちょう)から「大日経」を受け継ぎました。長安の青龍寺(しょうりゅうじ)を賜り三十歳で阿闍梨となりなす。貞元(じょうげん)二十一年(805)に病に倒れ余命のすくないことを自覚。日本の空海に法を伝えることを決意して、灌頂を授けました。空海はこれを日本に伝えて真言宗を開くことになります。椅子に座り横に童子を待らせています。

弘法大師  ■ 第八祖 弘法大師 (こうぼうだいし)

 空海は、仏教の神髄を求めて唐に渡りました。そこで恵果阿闍梨に認められ、密教の奥義を全て授けられて帰国します。多くの人たちに「結縁灌頂」(けちえんかんじょう)を授けるなど教化に努め。東寺の経営や高野山の開山など真言宗の確立に尽力しました。また、庶民のための学校の「綜芸種智院」(しゅげいしゅちいん)の創設や、灌漑用池の「満濃池」の築造など、多方面に渡り足跡を残しています。後に、その徳をたたえられて弘法大師の号を賜りました。五鈷杵(ごこしょ)を右手に持ち、左手には念珠を持っています。