めざせ即身成仏(そくしんじょうぶつ)  ―三密修行(さんみつしゅぎょう)―

 真言宗の教えの中心は、即身成仏(そくしんじょうぶつ)ということにあります。これは、大日如来を私たち自身の中に確認するといった現世成仏(げんせじょうぶつ)の教えであります。

 私たちの生活活動には三つの領域があって、それは体の行ない、口にする言葉、心の働き(身口意(しんくい)の三業(さんごう))であります。そして大日如来にも同じく身口意の三つの活動領域があり、この仏の三つの活動領域を三密(さんみつ)と言います。一般の仏教では悩みや苦しみのもと、煩悩(ぼんのう)のもとと見られる私たちの三業も、真言宗においては根源的には仏の三密と一体のものであると見て、私たちの三業をも三密と呼ぶのです。

煩悩でさえも本来は清浄(しょうじょう)なものと見るのが真言宗の教えであります。

 さて、このように仏と一体になるためには私たちは具体的にどうすれば良いのでしょうか。大日如来の三密活動は、人類の救済という大きな目的に向けられているのでありますから、私たちの生活の目的もそれに答えてゆくものでなければなりません。そのためには、まず菩提心(ぼだいしん)(悟りを求めようとする心)を起こすことが必要であり、正しい生活の基本である十善戒(じゅうぜんかい)を実践(じっせん)することが大切です。その十膳戒とは、

 不殺生(ふせっしょう)・・・いのちあるものを殺さないとともに、すべてのいのちを尊(とうと)び、生かしあいのために自己(じこ)
を尽くす。

 不偸盗(ふちゅうとう)・・・盗(ぬす)みをしないのはもちろん、すべてを仏の恵みとしていただき感謝の心で暮らす。

 不邪淫(ふじゃいん)・・・邪(よこし)まな男女関係を持つことなく、清らかな結婚生活をおくり明るく平和な家庭を築く。

 不妄語(ふもうご)・・・うそ、いつわりを言わず、ありのままに真実を話す。

 不綺語(ふきご)・・・ことさらに言葉をかざったり、たわごとを言ったりせず、思いやりのある誠実な言葉(愛語(あいご))を話す。

 不悪口(ふあっく)・・・他人のことをそしったり、あげつらったりせず、他人の長所を評価する。

 不両舌(ふりょうぜつ)・・・二枚舌(にまいじた)をやめ、誰に対しても誠実な言葉で話す。

 不慳貪(ふけんどん)・・・むさぼりの心を起こさず、おしみなく与える喜びを知る。

 不瞋恚(ふしんに)・・・憎(にく)しみや怒(いか)りを克服(こくふく)して、広く平和な心を持つ。

 不邪見(ふじゃけん)・・・まちがった考えを離れ、正法(しょうぼう)に生きる。

 以上の十項目です。これは倫理道徳的(りんりふどうとく)な行動であるとともに、かつ宗教的な実践でもあります。これらを基本として真言密教の実践法へと深めて行くことが必要となってきます。手に仏の誓願(せいがん)を象徴(しょうちょう)する印(いん)を結び、口に仏の心中よりほとばしり出た真言を唱え、心は悟りの境地にとどめることで、「仏日(ぶつにち)の

影、衆生(しゅじょう)の心水(しんすい)に現(げん)ずるを加(か)といい、行者(ぎょうじゃ)の心水よく仏日を感ずるを持(じ)と名ずく」と言われるように、如来の大慈悲と衆生の信心とが加持感応(かじかんのう)することによって、私たちの心や行い、言葉が浄化され、やがて仏と私とが一体になった生活が出来る、これこそ「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」ということにほかならないのであります。このことは、同時に私たちが本来ほとけとなんら異なるものではない「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」といった思想の確認・裏づけでもあります。