仏の世界  ―曼荼羅(まんだら)―

 仏さまのいのちといっても、私たちの眼や常識的な感覚では見たり触れたりすることができません。

ですからそれを理解するための手段として、仏の働きを姿や文字などで表した曼荼羅(まんだら)と呼ばれるものを使います。曼荼羅とはもともとサンスクリット語(梵語(ぼんご)=古代インド語)であり、それを訳すと輪円具足(りんねんぐそく)という意味になります。この宇宙全体が仏の世界であり、そこは完全無欠の世界であり、仏の深い智恵と豊かな慈悲心が生き続けていることを意味しています。

 この曼荼羅のことをお大師さまは四つに分けて説いておられます。

 大曼荼羅(だいまんだら) ・・・・人間を始めとしてすべての生きとし生けるものが調和を保って生存、共生しているところの大きな宇宙全体。これを表して大曼荼羅と言います。

 三昧耶曼荼羅(さんまやまんだら) ・・仏が手であらわしておられる印(いん)や、手に持つ蓮華(まれんげ)や利剣(りけん)はそれぞれの仏の誓願(せいがん)を表しています。三昧耶(さんまや)とはサンスクリット語で一体平等の意味でありますから、印や持ち物には内に秘められた心そのものを表しているのです。広義には、この世にあるすべてのものの価値や性質のことであります。

 法曼荼羅(ほうまんだら) ・・・・仏の心を人々に伝えることであり、その方法として、仏の名前や梵字、経典があります。広義には、言語、文学、書物などの教えを伝えるすべてのものを言います。

 羯摩曼荼羅(かつままんだら) ・・・羯摩とはサンスクリット語で働きのことです。仏が人々をお救いくださる教化活動のことを言います。広義には、宇宙全体の動きであり、人々の活動もこれに相当します。

 これら四つの曼荼羅はすなわち宇宙全体を表しているわけですが、理論的には理解できても具体的な実感として理解することは容易ではありません。そこでこの理論を仏のお姿を集めた図象で描いたものが、金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)と胎蔵法曼荼羅(たいぞうほうまんだら)であります。一般にこれら二つのことを曼荼羅と称している訳です。

 金剛界曼荼羅は金剛頂経に説く仏の世界を表し、胎蔵法曼荼羅は大日経に説かれている仏さまの真理を表していますから、真言宗の説くところの宇宙の実相とその生命をことごとく表していると言えます。

 曼荼羅には、根本本尊である大日如来を中心として多くの仏さまが供養(くよう)し礼拝(れいはい)し合う姿で描いてあります。これが密厳仏国土(みつごんぶっこくど)といわれる仏の世界の構図なのです。

 金剛界曼荼羅は、この宇宙全体に生き続ける仏のたくましい智恵の働きを示していますから、男性的な生命の活動を示しているといえます。一方胎蔵法曼荼羅は、別名大悲(たいひ)曼荼羅とも言い、宇宙に生き続ける仏の豊かな慈悲心(じひしん)を表しています。大日如来の慈悲心は、この胎蔵法曼荼羅に現れて観音(かんのん)さまや地蔵(じぞう)さま、お不動(おふどう)さま、聖天(しょうてん)さん、毘沙門(びしゃもん)さん、弁天(べんてん)さん、大黒(だいこく)さんなど私たちの身近に慈悲と幸せを与えてくれる仏さまとなって配置されているのです。この世の中に多くのものを生み出し、育(はぐく)み続ける慈し(いつくし)みの心が中心の流れでありますから母性的な命の活動を示していると言えます。曼荼羅は私たちに、1)調和と秩序、2)供養と礼拝、3)智恵と慈悲のいのちを示し、この世に仏の世界を創ることを教えているのであります。